マリリン in 心に刻む風景 全6回 - 2010.03.25 Thu
内容は表面をなぞったようなものだけど、彼女にちなんだ場所、建物を紹介したのが特徴的だった。

第1回 孤独な少女だった地 2009.12.30放送
「子供のころって、普通は幸せを当たり前のこととして育てられるでしょ? 私はそうじゃなかったから」
孤独な少女時代を、彼女は後にそう振り返りました。"アメリカのセックスシンボル"マリリン・モンロー。
まだ本名であるノーマ・ジーンと呼ばれていた頃。里親のもとを転々とした彼女が、この施設に預けられたのは、9歳のとき。
窓から見えるのは、近くにある映画会社のスタジオの明かりでした。(注:RKO映画のスタジオ)
どんなに手を伸ばしても届かない・・・。近くて遠い、眩しい場所を、憧れの眼差しで見つめた、ノーマ。
やがて引き取られた家のもと、高校に通い始めた彼女を、隣の家の青年・ジムが、送り迎えするようになります。
家族の愛が欲しかったノーマは、16歳のとき、その青年と、結婚をしました。
穏やかに流れていく日々。しかし彼女の胸にあった、消せない想い。女優になりたい。
やがて離婚を決意したノーマは、温もりに背を向け、ひとり歩き始めます。それは生涯に渡る孤独な道でした。
国:アメリカ ロサンゼルス
曲名:帰らざる河
作詞:Darby
作曲:Newman
第2回 デビューの地 2010.1.6放送
アメリカを代表する映画会社、20世紀FOX。1946年、彼女はここと契約を結びました。
女優、マリリン・モンロー。
しかし彼女に来る仕事は、ポスターや広告のモデルばかり。たまに端役にありついても、全く評価を得られません。
精神的にも経済的にも不安だった日々。そんなモンローに舞い込んだ仕事が、ヌード撮影でした。
紅いベルベットの上で、写真を撮られたモンロー。受け取った報酬は、僅かに50ドルだったといいます。
後にこの写真がスキャンダルとなりますが、逆境のなか、愛嬌たっぷりの彼女の振る舞いは、ファンの心を捕えました。
ヌード撮影の帰り、バーニーズ・ビーナリーでチリをつついていたモンロー。その胸には、いつかスターになるという、確かな想いがあったのでしょう。
世界を虜にしたマリリン・モンロー。彼女の魅力は、こんなやりとりにも溢れています。
「夜、寝る時は何を着ているんですか?」
「シャネルの五番よ」
国:アメリカ ロサンゼルス
曲名:I WANNA BE LOVED BY YOU
作詞:Rudy
作曲:Kaimar
第3回 女優として、女性として、幸福を掴んだ地 2010.1.13放送
アメリカ西海岸最大の都市、ロサンゼルス。この地にハリウッドの歴史が刻まれた劇場、チャイニーズシアターがあります。
1953年、ここに手形と足形を残したのは、女優、マリリン・モンロー。
辛い下積み時代を経た彼女は、「紳士は金髪がお好き」 「ナイアガラ」などの作品で、ついにスターの座に上り詰めたのです。
「私は自分に可能な限り最高の女優になりたいのです」
その半年後。彼女が結婚を発表すると、全米は熱狂に包まれました。
相手はアメリカの英雄、元ニューヨークヤンキースの名選手、ジョー・ディマジオ。
つつましい式のなか、ふたりは優しい笑顔を交わします。
「ダブルプレーが、ばっちり決まったのさ。二人の人間が出会って、ガチッときたんだ」
「最高に幸せよ。早く主婦になりたいわ・・・子供は6人ほしい」
女優として、そして女性として、幸福の絶頂にあったモンロー。全てが輝いて見えた、27歳でした。
国:アメリカ ロサンゼルス~サンフランシスコ
曲名:リトル・ロックから来た娘
作詞:Styne
作曲:Robin
曲名:キス
作詞:Newman
作曲:Gillespie

第4回 新婚旅行で訪れた地 2010.1.20放送
昭和29年2月2日。世界の女神と謳われた女性が、日本に新婚旅行でやって来ました。ハリウッドスター、マリリン・モンロー。
夫は、ニューヨークヤンキースを引退した名選手、ジョー・ディマジオ。
待ち受けていたのは、モンローを一目見ようとする群衆でした。想像を絶する熱狂ぶりから、彼女たちは逃れるように、東京を後にします。
そしてふたりが辿り着いたのが、伊豆 川奈ホテルでした。
ようやく得た、夫婦水入らずの時間。安らかな時に身を委ねながら、ふたりは、はにかんだような微笑みを浮かべます。
夫に寄り添いながら、近くの浜辺を散歩したモンロー。誰にでも気さくな彼女は、地元の人々に写真をせがまれると、笑顔で応えました。
しかし後にモンローはこう語っています。「私、ハネムーンで泣いたのよ」
表舞台から去った夫と、女優として絶頂を迎えつつあった妻。人生での立場が違うふたりの間に、冷たい風が吹き始めていたのです。
24日間の日本滞在。それはモンローの胸に不安と絶望が押し寄せていた、運命の時でした。
国:日本 静岡県伊東市川奈
曲名:お熱いのがお好き
作詞:I.A.L.Diamond
作曲:Matt Malaneen
曲名:恋はおしまい
作詞:Kahn
作曲:Malneck
第5回 三度目の結婚生活で過ごしたホテル 2010.1.27放送
アメリカのセックスシンボルと呼ばれた、マリリン・モンロー。しかし夫、ジョー・ディマジオは、銀幕で下着を見せる妻に我慢ならず、ふたりは離婚に至りました。
そんなモンローは、また恋をします。相手はピューリッツア賞受賞作家、アーサー・ミラー。
夫婦となったモンローとミラーは、ビバリーヒルズホテルで長く過ごしました。
“インテリとグラマー”。かつては世間からそんな風に揶揄されても、幸せだったモンロー。
けれど夫婦には、微妙なズレから、綻びが生じていました。
もっともっと、本当の私を愛して・・・。淋しさに押し潰されそうだったモンロー。
その頃、撮影の為、隣の部屋に滞在していたのは、俳優イブ・モンタン。
そしてモンローは夫の留守中に、モンタンと一夜を過ごしたのです。
恋から恋へ、さすらい続けたマリリン・モンロー。彼女はただ本物の愛を、探していたのかもしれません。
国:アメリカ ビバリーヒルズホテル
曲名:Everybody’s Somebody’s Fool
歌:ジミー・スコット
第6回 愛にはぐれ、愛に抱かれた地 2010.2.3放送
その人は孤独な人生のなか、いつも愛を探していました。女優、マリリン・モンロー。
1962年8月5日。全米は震撼します。スーパースターのモンローが自殺!? ニュースは世界を駆け巡りました。
突然の死から三年前、「お熱いのがお好き」の撮影の頃、彼女はよくフォルモサカフェを訪れていました。
数々の恋に破れ、仕事にも疲れ果て、精神科医のもとに通っていたモンロー。
彼女の苦悩を知り、励まし続けたのは、元夫のジョー・ディマジオでした。彼はモンローとの再婚を、真剣に考えていたといいます。
しかしモンローは、この世に別れを告げました。その日、ビーチを散歩した、僅か数時間後、彼女の遺体が発見されたのです。
ディマジオは、モンローの生前、こんなことを頼まれました。「私が死んだら、お墓に毎週お花を飾って」。元妻に約束通り、30年以上、パリジャン・フローリストで買った花を贈り続けたディマジオ。
36年の人生の果てに、モンローは求め続けた、永遠の愛に抱かれました。
国:アメリカ ロサンゼルス
曲名:コーリング・ユー
歌:ジェヴェッタ・スティール
(C) 1995-2009 Nippon Television Network Corporation.
● COMMENT ●
>たけしさん
1回目は見なかったけど、HPで内容がわかって有難かったです。
え、ケータイに録画ですか! すっげー! 声も?
我が家は録画、残しませんでした。第1回が抜けてたのもありますが、まあ、いらないかなーと。
おお
でもいつ消えるかわかりませんものね、全文掲載ブラボーです、お疲れさまでした!
歌も前半はマリリンの曲だったのかあ。
ラストの「コーリング・ユー」はどうにも、もの哀しいんですよね。
>まおさん
私も1回目を見ていなかったので、HPで知ることができてラッキーでした。
HPでは、ゆかりの建物の写真もあるので、見てあげてください。
5回目、6回目もマリリンの歌にしてほしかったです。ぴったりしたのが、なかったかもしれないですけど。
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後半3回は携帯電話に録画しましたので、あの喫茶店のマスターにも見せる事ができました。携帯電話も便利になりました。
五分番組でもCMのほうが長いから、全文載せてもすぐ読めちゃう量なんですね。それでもマリリンファンには嬉しい番組でした。マリリンゆかりの場所とかも紹介してくれましたし。