「ディマジオとモンロー」 佐山和夫 - 2014.04.19 Sat
マリリン・モンローさんが来日したときの詳しい足取りがわかる本がないのかなあと思ってたが、ちゃんとあったのだった。
1995年の発行。やだなあ。あったんなら、教えてよ~、みんな。
彼女の日本での行動が、かなりのところ分かって、ありがたかった!

引退はしたが、優れた野球選手だったジョー・ディマジオと、人気沸騰中の、世界一優れた女優マリリン(私は「モンロー」と書くのは嫌だ。親しみが感じられないから。)の簡単な紹介のあと、ディマジオらの野球教室開催を兼ねたハネムーン来日のことが書かれている。
現役時代に来日して大人気だった日本へ行って、ほら、こんなに人気があるんだよ俺、と妻のマリリンに見せたい気持ちがディマジオにあったのではないかということは、じゅうぶん以上に考え得る。
ディマジオの選手デビューは、サンフランシスコ・シールズという野球チームで、そこの監督だったのがフランク・オドウル。
東京の陸軍病院(現在の聖路加病院)に勤務していた、元大リーガーのボビー・ブラウンを誘って、ディマジオ、ブラウン、オドウルの3人でプロ野球チームの野球指導をすることになった。

川奈で。漁村を散歩する夫婦。写真を撮ったのは山田まつえさん。彼女のお母さんは、マリリンに誘われて一緒の写真におさまったのだそう。
しかし、日本ではマリリンと一緒にいると、彼女にばかり注目が集まって、ディマジオは気分を悪くする。
ついには自分が注目されるべき野球教室の場(球場)に、マリリンがやってきて人気をさらわれる。
ホテルに戻ったあとディマジオが怒ったのか、彼女が泣いているのが目撃されたのだそうだ…。
のちに彼女は友人のノーマン・ロステンに、「わたし、ハネムーンで泣いたのよ」と言った。
ディマジオは、妻は家庭に入ることを基本に考えていたらしいから、それだけでも、マリリンとの結婚は、すごく難しいことだったはずだ。
結局、来日から、わずか8か月後の10月3日、マリリンは離婚訴訟に及ぶ。
本書に書かれたマリリンの来日時の足取りは、資料として見るためにも、あとで別途、記事にしたいと思う。
(4月12日読了)
● COMMENT ●
>たけしさん
脳ミソまで筋肉、はヒドイ言われようですねえ。
女性は家で家事をするものだという考えで育った人が相手では、どうしたってマリリンが家に入らなきゃ長続きはしなかったわけですが、結局は無理でした…。
彼女も家庭を優先したいとは言っていたようですけれど、うまいこといかなかったですね。
マリリンの行動は、まとめて書いておけば、なにかのときに便利だろうなということで、のちほど。
私は特にファンではありませんが、ミーハー気分で足取りを追ってみたことがあります(インターネットで)。
前にも書きましたが、知らずに通っていた場所がお二人にちなんだ場所だと分かると、ちょっとワクワク♪(ミーハーだから)。
通る度に「ディマジオさんはどこに行っちゃったの~wo wo wo~Hey Hey Hey~♪」(適当)と歌っています。私のフィアンセ(…まだ言う)とは関係のない、ポール・サイモンさんの「ミセス・ロビンソン」という歌です。
今、北の大地に居るので、正確には歌っていま「した」ですが…。
>モペ改め「謎の」ミトンさん
あ、ディマジオのね。
マリリンがいた場所だったら、私は夢心地になります。…あ、帝国ホテルとか行けるか…
あ! そういえば、「ミセス・ロビンソン」にジョー・ディマジオって出てきますよね!
映画の「卒業」も好きですし、S&Gのいくつかの曲もおなじみです。
いまは北にいるんですか? 日本国中を駆け巡るスパイかなんかですかー?
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ちなみにその記事には「マリリンほどの優れた女性がディマジオなんぞという男と何故結婚したのか理解し難い」とも書かれていて、記者はずいぶんなディマジオ嫌い、もしくは野球嫌いなんだと感じました。
マリリンの日本での行動も後でまとめて下さるのですね。この本を読んだの、はるか昔なので、ちょこちょこ忘れてる箇所もあるので、そちらの記事も楽しみにしています。
マリリンのルート、たしかあっちに行ってからあそこだったはず…あれ?逆?みたいな。
マリリンの呼称、私もいつの間にかマリリンで定着してます。以前はモンローとも言ってたんですけど、やっぱりマリリンのほうが親しみを感じますよね。