「妻は告白する」 - 2015.07.25 Sat
足元にカメラが移ると、若尾文子さんはそのカメラを意識して、少し足を引く。人々の視線を受けての表情と仕草の微妙な反応。
名シーンといっていい。
忘れえぬ一場面は、その映画を宝物にする。

増村保造監督は「キネマ旬報」(1962年1月上旬号)で、こう語っている。
『日本の強固な結婚制度の被害者を描くことが、会社の要求するメロドラマのテーマになると考えた。結婚制度が強固なため、その中に縛られてなお人間としての純粋さを守ろうとすると、こうも気違いみたいになってしまうだろう――ということを描きたかったのです』(「若尾文子 “宿命の女”なればこそ」 ワイズ出版。以下、『 』内、同様)
私自身、もし自分がこの男の立場だったら、彼女の思いを受け止められるだろうか、と考えながら観ていた。
彼女が悪いのか。そうではないのか。どこまで信じられるのか。どう考えて判断を下すのか。

裁判中なのに男と会ったり、いっしょに海に行ったりして、心証よくないでしょ!と、こちらが心配したりして。
若尾さんによると、この映画の撮影時は、『…二十代の終わりで、娘役はもう無理。自分で、これが転機だと思ったわけでもないけれど、やっぱり、あれを次にいくためのステップにしたいと思ったんでしょうね。それで、変な言い方ですけど、脚本を抱いて寝てたの。初めてです、そんなことしたの。…』

大映のプロデューサーである藤井浩明は、増村監督が生涯追い求めたテーマは『日本的環境から自立しようとする女』だと言う。
それを考えると、この作品での監督の主張は、はっきりと、強烈に、わかる。
「若尾文子映画祭 青春」(HPは動画が流れるので音量注意)にて。
(7月12日 角川シネマ新宿)
1961年作品
監督 増村保造
出演 若尾文子、川口浩、馬淵晴子、小沢栄太郎、根上淳

好き度☆☆☆☆(4点。満点は5点)
(c) KADOKAWA
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